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盛岡地方裁判所 昭和32年(ワ)186号 判決 1958年10月06日

昭三一(ワ)第一七一号 原告・昭三一(ワ)第一四三号 被告・昭三二(ワ)第一八六号 被告 榎本末吉

昭三一(ワ)第一七一号 被告 国

国代理人 岡正男 外一名

昭三一(ワ)第一七一号 被告・昭三一(ワ)第一四三号 原告・昭三二(ワ)第一八六号 原告 滝野潔

主文

(昭和三一年(ワ)第一七一号事件について、)

被告滝野潔、同国が昭和三一年四月二七日別紙目録記載の各土地についてなした売買契約により右各土地所有権移転の効力のないことを確認する。

(昭和三一年(ワ)第一四三号事件、同三二年(ワ)第一八六号事件について、)

原告滝野潔の請求はいずれもこれを棄却する。

訴訟費用は昭和三一年(ワ)第一七一号事件について生じた部分は被告滝野潔、同国両名の連帯負担とし、昭和三一年(ワ)第一四三号、同三二年(ワ)第一八六号両事件について生じた部分は同各事件原告滝野潔の負担とする。

事実

第一、当事者の申立、

一、昭和三一年(ワ)第一七一号事件原告、同三一年(ワ)第一四三号事件被告、同三二年(ワ)第一八六号事件被告、(以下単に原告という)は、

1、昭和三一年(ワ)第一七一号事件の請求の趣旨として、

主文第一、三項同旨。

2、昭和三一年(ワ)第一四三号事件、同三二年(ワ)第一八六号事件の答弁として、

主文第二、三項同旨。

の判決を求めると述べ、

二、昭和三一年(ワ)第一七一号事件被告、同三一年(ワ)第一四三号事件原告、同三二年(ワ)第一八六号事件原告、(以下単に被告滝野という)は、

1、昭和三一年(ワ)第一七一号事件の答弁として、

「原告榎本の請求を棄却する。訴訟費用は原告榎本の負担とする。」

2、昭和三一年(ワ)第一四三号事件の請求の趣旨として、

「別紙目録記載の各土地は被告滝野の所有であることを確認する。原告榎本は前記各土地に立入つてはならない。訴訟費用は原告榎本の負担とする。」

3、昭和三二年(ワ)第一八六号事件の請求の趣旨として、

「原告榎本は別紙目録記載の各土地に立入り、耕作収穫等をして被告滝野の植付、耕作、収穫を妨害し同被告の所有権を侵害してはならない。訴訟費用は原告榎本の負担とする。」

との判決を求めると述べ、

三、被告国は

1、本案前の答弁として、

「原告の訴を却下する。訴訟費用は原告の負担とする。」

2、本案の答弁として、

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」

との判決を求めると述べた。

第二、原告は、

(一)  昭和三一年(ワ)第一七一号事件の請求の原因として、

一、別紙目録記載の各土地(以下同目録記載一の一六九番の二田地を甲地、二の一七一番山林を乙地と呼ぶ)及び二戸郡荒沢村(町村合併の結果安代町となる)大字荒屋字高畑一七〇番原野一反五畝二四歩(以下これを丙地と呼ぶ)はいずれももと帝室林野局管理の皇室財産の荒沢村大字荒屋字高畑九五番の四御料地の一部であり、右九五番の四御料地はその後高畑一六九番原野一町二反六畝二七歩、同一七〇番原野一反五畝二四歩(丙地)、同一七一番山林四反二畝一二歩と付番されていたが、昭和二二年四月一日財産税の物納により被告国の所有となり、大蔵省所管の普通財産となつた。

大蔵省所管になつてから昭和三一年五月一五日右一六九番原野は地積を一町三反一畝一八歩と変更の上一六九番の一原野二反四畝二七歩、一六九番の二原野九反一八歩(甲地)、一六九番の三原野一反六畝二歩の三筆に分筆され、その際右一六九番の二原野の地目を田に、また右一七一番山林の地積を三反七畝四歩(乙地)に変更の登記をされた。

二、被告滝野の先代滝野千太郎は明治三五年頃前記もと九五番の四御料地を帝室林野局から開墾の目的で賃貸借し、その後その一部の前記甲乙丙の三筆の部分を農地に開墾して耕作使用して来、昭和一七年一〇月三日同人の死亡後被告滝野もその家督相続人として引続き前同様賃借して来たが、戦時中労力不足のため一時右農地を荒らし被告滝野は昭和一七年から同一九年までの間に乙地と丙地の一部に落葉松等を植林していた。

三、原告の先代榎本金作は昭和二〇年二月頃戦時下食糧事情がいよいよ逼迫するに及び被告滝野から前記甲乙丙の三筆の土地を開墾の目的で転賃貸借し、転借の趣旨に従つて同年から次のとおり開墾して田畑にした。

(1)  甲地 九反一八歩を昭和二〇年から同二三年までに水田。

(2)  乙地のうち八畝一六歩を昭和二一年に畑。

同上 一反四畝一二歩を昭和二二年に畑。

同上 一反五畝四歩を昭和二四年に畑。

(3)  丙地 一反五畝二四歩を昭和二〇年に畑。

原告の先代金作は右のように昭和二四年までに転借地全部を開墾して農地にして耕作使用していた。

その頃前記原告の先代金作の転借について賃貸人の承諾があつた。それで右のうちの丙地は農林省に所管換になり、旧自創法の規定により昭和二五年一月一日付売渡通知書で被告国から金作に売渡になつた。

なお原告の先代金作は被告滝野に対し転借料の支払として次のような転借地からの収穫物等を交付している。

(1)  昭和二一年度に、薯四斗入二俵、大豆五斗、ソバ一斗。

(2)  昭和二二年度に、白米一斗、大豆一斗、ソバ一斗。

(3)  昭和二三年度に、魚類一回二〇〇円程度のもの一〇回。

昭和二四年からは転借地に関し原告と被告滝野間に紛争を生じたので賃料の支払はしていない。

原告は昭和二九年一月三日先代金作の死亡によりその地位を承継し、丙地の所有権及び甲乙両地に関する先代金作の転借権をも承継取得した。

四、前述のように原告の先代金作の甲乙丙の三筆の転借については賃貸人の承諾もあり、金作において着々農地に開墾しており、また金作が、右開墾の途中昭和二二年九月一四日岩手県知事に対し旧自創法による買受申込をしていたので、地元の荒沢村農地委員会でも実地調査の上丙地のみでなく甲乙両地も自作農創設の目的に供するのを相当の農地と認め農林省に所管換の上金作に売渡すことにしようとして岩手県農地委員会に旧自創法施行令第一二条第二項の承認申請をし、県農地委員会においてもまた甲乙両地を自作農創設の目的に供するのを相当と認め、大蔵省関係当局に対し同施行令第一二条第三項の認可申請をし当時原告に対しその中に売渡になることを内示していたので、原告はその売渡の日を待つていたのである。

五、しかるに被告国は前記甲、乙両地を農林省に所管換しないで大蔵省所管の普通財産として昭和三一年四月二七日被告滝野に代金三〇万円でこれを売払い、同年五月一五日その旨所有権移転登記を経由した。

六、しかしながら前記甲乙両地の売買契約は次の理由により無効である。

農地はすべて農地法所定の売渡手続によつて売渡すべきであるのに、右売買手続はその手続を履践していない。すなわち、

(イ) 農地の所有権の移動には知事の許可を要するのに、右売買にはそれを得ていない。

(ロ) また農地を取得しようとする者は現に三反歩以上の農地を耕作していなければならないのに、被告滝野は商人であつて当時のその耕作農地は一反歩余にすぎないものであり、農地取得の要件を具えていない。

(ハ) 前記売買は、原告と被告滝野の両名の指名競争入札によつてなされたのであるが、そのような農地の売払も一の公売処分であり、知事の競買適格証明がなければ買受けられないのに、被告滝野はそのような適格証明を得ていない。

よつて被告ら間の甲乙両地の売買により右両地の所有権移転の効力が生じないからこの趣旨のこれが無効確認を求めるため本訴請求に及ぶものである。

(二)  被告らの主張に対する答弁

一、被告滝野の昭和三一年(ワ)第一四三号、同三二年(ワ)第一八六号事件の各請求の原因に対する答弁として、

1、被告滝野主張一の事実のうち別紙目録記載の各土地がもと皇室財産の御料地で被告滝野の先代千太郎が明治三五年頃に当時の帝室林野局から開墾の目的で賃貸借し、その後賃借を継続し、被告滝野主張の日時先代千太郎の死亡後被告滝野が前同様賃借を継続していたこと及び右各土地が同被告主張の日時財産税の物納により被告国の所有に帰し大蔵省所管となつたことは認めるがその余の事実を争う。

2、被告滝野主張二の事実を認める。

3、同三の事実のうち原告が被告滝野主張の頃から前記各土地を耕作使用していたこと及び被告滝野がその主張のように二回仮処分命令を得て執行したことは認めるがその余の事実を否認する。

4、昭和三一年(ワ)第一七一号事件の請求の原因三において述べたように、前記各土地は原告の先代金作が被告滝野から転賃貸借していたものである。原告は昭和二九年一月三日先代金作の死亡によりその地位を承継し、右各土地の転借権をも承継取得し、右転借権に基いて耕作したのである。被告滝野の本訴請求はいずれも失当である。

二、被告国の本案前の主張に対する答弁として、

1、前述のように前記各土地は原告の先代金作が権原に基いて開墾し耕作していた農地である。大蔵省所管の国有財産でもそれが農地であるときはその売払は農林省に所管換の上農地法第三六条の規定により売渡さるべきものである。原告は同法条第一項第一号の現に耕作の事業を行つている者に該当し第一順位の売渡の相手方となるべき地位にあるものであるから、被告らの前記売買の結果右地位を奪われたこととなり、右売買の無効確認を求める訴の利益がある。

2、農地法は国有農地の売渡手続に関する準拠法であり、一般国有財産の売払手続に関する準拠法である国有財産法の特別法である。大蔵省所管の国有財産に属する農地の売払については、大蔵省においてもまた国有農地処分の特別法である農地法の規定に準拠しなければならないのであり、結局農林省に所管換した場合と同様の結果になり、原告が売払の相手方となるべき地位にあるものであるから、いずれにしても原告は被告らの前記売買の無効確認を求める訴の利益がある。

と述べた。

第三、被告滝野は

(一)  昭和三一年(ワ)第一七一号事件の答弁として、

一、原告主張一、二の各事実を認める。

二、同三の事実のうち被告滝野が原告主張の日時丙地の一部を原告の先代榎本金作に転貸したこと、原告の先代金作がその後甲乙丙の三筆の一部を開墾し、耕作使用していたこと、及び丙地がその主張のように農林省に所管換になり、旧自創法の規定によりその主張の売渡通知書で被告国から原告の先代金作に売渡になつたことは認めるが、その余の事実は争う。

昭和二〇年春頃被告滝野が原告の先代金作に転貸したのは丙地の一部であり、甲乙の両地は転貸したものではない。

また丙地の一部の転貸にも帝室林野局からも被告国からも承諾を得ていない。

また当時食糧不足の折から、原告の先代金作から懇願されて同情し、丙地の一部を一時無償で貸転したにすぎないのであり、金作から原告主張のような収穫物等の交付を受けたことがない。

三、原告主張四の事実を争う。

四、同五の事実を認める。

五、同六の事実のうち当時の被告滝野の耕作農地が一反歩余であつたことは認めるが、その余の事実を否認する。

1、被告滝野と帝室林野局との間の貸借契約は昭和二一年一二月末に期間の満了によつて終了した。当時は一年毎に更新の契約であり、その後は借地継続願の手続をしていない。

したがつて被告滝野の賃借権の存在を前提とする原告の先代金作の借権も消滅に帰し、その後は金作には丙地の一部の使用権限もなくなつたのである。

2、以上のように原告の先代金作の甲乙の両地の開墾は仮に原告主張の日時その主張の範囲を開墾したものとしても、何らの権原に基かないでした不法開墾であり、そのような不法開墾による土地は農地法にいうところの農地ではない。その移動に農地法の適用がない。

したがつて農地法の適用のあることを前提とする原告の本訴請求は失当である。

(二)  昭和三一年(ワ)第一四三号、同三二年(ワ)第一八六号両事件の各請求の原因として、

一、別紙目録記載の各土地はもと皇室財産の御料地で、被告滝野の先代千太郎が明治三五年頃当時の帝室林野局から開墾の目的でこれを賃貸借し、その後賃借を継続し、昭和一七年一〇月三日先代千太郎の死亡後被告滝野が前同様賃借を継続して昭和二一年に至つたものである。

なお被告滝野は昭和一九年中帝室林野局に対し右各土地の縁故払下を出願したが、戦災のため書類が焼失し、払下にならないでいる中に昭和二二年四月一日右各土地は財産税の物納により被告国の所有に帰し大蔵省の所管となつた。

二、被告国が昭和三一年四月前記各土地を大蔵省所管の普通財産として被告滝野と原告の指名競争入札に付したので、被告滝野はこれを落札し、同月二七日代金三〇万円でこれを買受け、同月三〇日代金を納入してその引渡を受け、同年五月一五日その旨の所有権移転登記を経由した。

三、それで被告滝野が前記各土地の所有権を取得したのでその開墾耕作の準備をしていたところ、原告が昭和三一年五月以来何らの権原もないのに無断で右各土地に立入り、開墾耕作をするので被告滝野は再三原告に対しこれが同被告の所有であることと、同被告が耕作の準備中であることを告げて注意したが、応じなかつた。

それで被告滝野は原告を被申請人として、盛岡簡易裁判所に対し立入禁止の仮処分を申請し、同裁判所昭和三一年(ト)第一九号仮処分命令を得、同年五月一〇日執行したが、なおも原告が強引に立入耕作をしたので、さらに盛岡地方裁判所に対し被告滝野の耕作の妨害禁止等の仮処分を申請し、同裁判所昭和三一年(ヨ)第九三号仮処分命令を得てこれを執行している実情である。

四、よつて原告に対し、昭和三一年(ワ)第一四三号事件として、前記各土地の被告滝野の所有であることの確認と右各土地に対する原告の立入禁止を求め、また同三二年(ワ)第一八六号事件として、右各土地に対する原告の耕作収穫禁止して被告滝野の植付耕作収穫の妨害と所有権の侵害の禁止を求めるため本訴請求に及ぶものである。

と述べた。

第四、被告国は

(一)  本案前の答弁として、

一、原告の先代榎本金作は別紙目録記載各土地すなわち甲乙両地の正当な耕作権者ではない。

右甲乙の両地は被告滝野において原告の先代金作に転貸したものではない。

もし仮に被告滝野と原告の先代金作との間に丙地のみでなく甲乙の両地についても原告主張のような転貸借の合意があつたのとしても、被告滝野と帝室林野局との間の賃貸借契約が昭和二一年一二月末をもつて期間の満了により終了した以上、被告滝野の賃借権の存在を前提とする原告の先代金作の転借権も消滅に帰することになるのみならず、被告滝野の原告の先代金作に対する転貸については賃貸人の承諾がないから、原告の先代金作は右土地の耕作権限をもつていたものではない。

そのような権原のない者の開墾した土地は仮に耕作をしていても農地法にいうところの農地ではない。したがつてそのような土地の移動については農地法の適用がない。

二、前述のように前記甲乙の両地は農地法にいうところの農地ではないので、被告国は国有財産法によつて大蔵省所管の普通財産として被告滝野と原告との指名競争入札による売払をしたのである。原告が参加しないで被告滝野が一人参加して入札したため被告滝野に落札し同被告に売払われたのである。原告は自分の意思により落札の機会を失つたにすぎない。

三、以上のよう原告は前記甲乙両地について何らの権利をもつているものでないのは勿論、被告国がこれを被告滝野に売払うことによつて侵害されるような法律上の利益をもつているものでもないから、被告ら間の右各土地の売買の無効確認を求める訴の利益がない。原告の本訴は不適法である。

(二)  本案の答弁として、

一、原告主張一、二の各事実を認める。

二、原告主張三の事実のうち被告滝野が原告主張の日時丙地を原告の先代金作に転貸したこと、原告の先代金作がその後甲乙丙の三筆を田畑に開墾し耕作使用していたこと及び丙地が原告主張のよう農林省に所管換になり旧自創法の規定によりその主張の売渡通知書で被告国から原告の先代金作に売渡になつたことは認めるが、その余の事実を争う。

1、本案前の主張一の主張を援用する。

右一において述べたよう原告の先代金作は何らの権原がないのに甲乙の両地を開墾し耕作使用していたものにすぎない。

2、甲乙丙の三筆に関する被告滝野と帝室林野局との間の賃貸借契約は昭和二〇年一二月二五日その賃貸期間を同年一月から同年一二月末までと契約され、その後昭和二一年九月四日その賃貸期間を同年一月から同年一二月末までと契約されたが、その後は継続の契約がなされていない。したがつて右賃貸借は同年一二月末に期間の満了によつて終了した。

三、原告主張四の事実を争う。

四、同五の事実を認める。

五、同六の事実のうち当時被告滝野の耕作農地が一反歩余であつたことは認めるが、その余の事実を否認する。

1、本案前の主張一において述べたように、甲乙の両地は無権原者の不法開墾地であり、農地法にいうところの農地ではないから、そのような土地の移動については農地法の適用がない。したがつて右各土地の移動について、

(イ) 農地法第三条第一項の知事の許可はいらない。

(ロ) またその権利を取得する者に同法条第二項第五号に規定するように現に三反歩の農地を耕作することを要するような要件もいらない。

2、本案前の主張二の主張を援用する。

右二において述べたように被告国は甲乙両地を国有財産法によつて被告滝野と原告との指名競争入札によつて売払つたのである。そのような国有財産法によつてなす国有財産の売払処分に、農地法第三条第一項の知事の許可を要することを前提とする知事の競買適格証明を要すべきいわれもない。

3、前述のように丙地は農林省に所管換し旧自創法の規定による売渡処分をしたのに、甲乙の両地は農林省に所管換をしないで国有財産法によつて売払処分をし、処分方法を区別したのは、甲乙丙の三筆が財産税による物納で被告国の所有となり大蔵省の所管となつた昭和二二年四月一日当時、丙地は現況農地であつたが、甲乙の両地の現況は、甲地は原野で、乙地は山林であり、その後甲乙両地も開墾されたが、原告の先代金作の不法開墾によるものであつて、農地法にいうところの農地というべきものでなかつたからである。

と述べた。

第五、当事者の立証

一、原告は、甲第一号証の一、二、第二、三、四号証、第五号証の一、二、第六、七、八号証、第九号証の一ないし七、第一〇ないし第二〇号証、第二一号証の一、二、三、第二二号証の一、二、第二三、二四、二五号証を提出し、証人大森オサワ、西田佐太郎、藤館春馨、佐々木養吉、種市吉孝の各証言を援用し、乙第一五、一六号証の各一、二、第一七、二四号証の成立は不知、その余の乙号各証及び丙号各証の成立を認める。甲第七号証判決は昭和三〇年一月三日上告棄却により確定したと述べ、

二、被告滝野は乙第一ないし第七号証、第八号証の一、二、三、第九号証、第一〇号証の一、二、三、第一一ないし第一四号証、第一五、一六号証の各一、二、第一七、一八、一九号証第二〇ないし第二三号証の各一、二、第二四号証を提出し、証人滝野ヤス、盛内梧郎、小笠原英二郎の各証言及び被告滝野潔の第二回本人尋問の結果を援用し、甲号各証の成立を認め、甲第七号証判決が原告主張の日時その主張のように確定したことは認めると述べ、

三、被告国は丙第一号証の一、二、三、第二ないし第五号証を提出し、証人細矢正太郎の証言及び被告滝野潔の第一回本人尋問の結果を援用し、甲号各証の成立を認め、乙第一号証を援用し、甲第七号証判決が原告主張の日時その主張のように確定したことは認めると述べた。

理由

第一、昭和三一年(ワ)第一七一号事件の判断

(一)  本案前の原告の被告ら間の売買無効確認の訴の適否について。

原告は被告ら間の本件売買契約の当事者ではない。第三者が他人間の法律行為の無効確認を求めることのできるのは、第三者にそれを求める特段の法律上の利益がある場合に限られる。原告にはたしてそのような法律上の利益があるかどうかを検討する。

本訴において、

1、原告は

(イ) 別紙目録記載の各土地すなわち本件甲乙の両地は、被告滝野の先代滝野千太郎が帝室林野局から賃貸借し、農地に開墾して耕作使用して来た土地であり、戦時中労力不足のため一時荒らし、乙地に植林していたのを、原告の先代榎本金作が右甲乙の両地を被告滝野から開墾の目的で転借し、さらに農地に開墾した土地であり、その頃賃貸人の承諾もあり、被告ら間の本件売買契約当時原告の先代金作が正当な転借権に基いて開墾耕作していた農地である。

(ロ) 農地の移動には農地法の適用がある。

(I) 本件甲乙の両地は地元荒沢村農地委員会も自作農創設の目的に供するのを相当の農地と認め、岩手県農地委員会に対し旧自創法施行令第一二条第二項承認申請をし、県農地委員会もまた同様の認定の下に大蔵省関係当局に対し同施行令第一二条第三項の認可申請をしていたのであるから、右甲乙の両地は農林省に所管換した上当時施行の農地法第三六条の規定により売渡さるべきものである。

そうすれば原告は同法条第一項第一号の耕作者に該当するから第一順位の売渡の相手方となるべき地位にあるのに、被告ら間の本件売買の結果右地位を奪われたことになり、右売買の無効確認を求める訴の利益がある。

(II) 農地法は農地の国有財産処分の準拠法であり、国有財産法の特別法であるから農林省に所管換をしないで国有農地の売払をするときでも農地法の適用があり、前同様原告が売払の相手方となるべき地位にあるものであるから、いずれにしても訴の利益がある。

と主張し、

2、被告らは、これに対しいずれも、

(イ) 被告滝野は本件甲乙の両地を原告の先代金作に転貸していない。また賃貸人の承諾もあるべきはずがないい。したがつて原告の先代金作は無権原の耕作者である。

(ロ) 無権原者の不法開墾土地は農地法にいうところの農地ではない。

したがつて本件甲乙の両地に農地法の適用のあることを前提とする原告の主張は失当である。

(ハ) さらに被告国は、

本件甲乙の両地は農林省に所管換をしていなかつたもので、大蔵省所管の普通財産として被告滝野と原告との指名競争入札による売払をしたのである。原告が参加しないで被告滝野一人参加し入札したため、被告滝野に売払われたのである。原告は自分の都合で参加しなかつたのであり、被告らの売買によつて侵害されるような法律上の利益をもつていたものではない。

と主張し、極力抗争しているのである。

3、はたして前記原告主張事実が認められるものとすれば、後記本案の判断において説明するように、本件甲乙の両地は農林省に所管換の上農地法第三六条の規定による売渡の手続をなさるべきか、所管換をしなくとも結局同法条の趣旨によつて売払の手続をなさるべき農地であり、そうすれば原告がその売渡もしくは売払の相手方となるべき地位にあるものといわなければならないこととなる。

本件においては被告らにおいて極力これを争い、これが本件訴訟の現実の紛争となつているのであるから、原告の本訴をもつて、訴の利益を缺く不適法の訴ということができない。被告国のこの点の主張は失当である。

(二)  本案の判断

一、当事者間に争のない事実

1、原告主張一、二、五の各事実。

2、同三の事実のうち被告滝野が原告主張の日時丙地(被告国)もしくはその一部(被告滝野)を原告の先代金作に転貸したこと、原告の先代金作が、その後甲乙丙の三筆(被告国)もしくはその一部(被告滝野)を開墾し、耕作使用していたこと、丙地が農林省に所管換になり旧自創法の規定によりその主張の売渡通知書で、被告国から原告の先代金作に売渡になつたこと、及び被告ら間の甲乙の両地の売買契約当時の被告滝野の耕作農地が一反歩余であつたこと。

二、よつて本件甲乙の両地に対する原告の法律関係について考えるに、原告は被告滝野の賃貸借していたものをさらに被告滝野から転借したと主張するので、被告滝野の賃貸借関係から順次考察する。

1、被告滝野と被告国との賃貸借関係

原告主張二の事実は前示のように当事者間に争がない。

そうだとすれば被告滝野は昭和一七年一〇月三日先代千太郎の死亡後引続き本件甲乙丙の三筆を賃貸借して来たのである。本件のような国有財産のうちの普通財産の貸付行為はその本質上民法の賃貸借関係と異るところがなく国有財産法第二一条以下に二、三の特別規定があるがその賃貸借はとくに終了事実を認め得られる時まで継続するものといわなければならない。

原告は本件甲乙丙の三筆に関する被告滝野の当初帝室林野局、その後財産税の物納により被告国の所有になつてからの被告国との賃貸借はその後少くとも原告主張五の事実の被告ら間の売買契約の時まで継続していることを前提として主張していたのに対し、被告らは、右賃貸借は昭和二一年一二月末に期間の満了により終了したと抗争するので本件当事者間においては少くとも昭和二一年一二月末までは右貸借が存続したものといわなければならない。

したがつて昭和二二年一月一日後も存続したかどうかが次の争点となる。

(イ) 被告滝野の先代千太郎の賃借の目的が開墾の目的であり、同人が賃借後甲乙丙の三筆を農地に開墾して耕作使用して来たことは前示のように当事者間に争がない。

(ロ) 成立に争のない乙第五号証第一八、一九号証、第二〇、二一、二二号証の各一、二証人細矢正太郎の証言、被告滝野の本人尋問の結果(一、二回)によれば、被告滝野の先代千太郎と帝室林野局との間の賃貸借の間は当初は三年ないし五年とし、期間の切れる毎に期間の更新を重ねて継続して来たが、後には一年毎に更新していたこと及びその更新の方法は被告滝野の先代千太郎または被告滝野から継続願を出せば、期間が切れてからであつても必ず更新が許可されていたことが認められ、右認定を左右するに足る証拠がない。

前示認定のように開墾し耕作使用するというような性質上、継続的な土地利用を内容とする契約でありかつ前示認定のような従来の期間更新の経過状況だつたのであるから、前示被告滝野の先代千太郎及びその相続人の被告滝野の賃借は各契約期間の満了によつて直ちに終了する趣旨のものではなかつたことを窺うに十分である。

(ハ) 成立に争がない丙第二号証によれば、昭和二八年十二月頃東北財務局盛岡財務部において被告滝野が本件甲乙の両地の皇室財産当時その使用権限のあつたことを承認していることが認められ、右認定を左右するに足る証拠がない。

(ニ) 被告滝野はその第一回本人尋問において「私は昭和二四年に近所の人から榎本が私の植林した木を掘つたことを聞いたので財務部に相談して損害賠償請求の訴訟を出した。私は当時土地に対する権利が私にあると思つていた。」と述べている。

(ホ) 丙地が農林省に所管換され、旧自創法の規定により原告主張の売渡通知書で被告国から原告の先代金作に売渡になつたことは前示のように当事者間に争がない。

右売渡事実からすると被告国が丙地について、少くとも右売渡処分の時まで被告滝野の貸借の継続していたことを認め、それを前提として原告の先代金作の転借事実をも認めて農林省に所管換の上旧自創法の規定による売渡手続をしたことが窺われ、右認定を左右するに足る証拠がない。

以上(イ)ないし(ホ)の各認定事実を合せ考えるときは、前示被告滝野の帝室林野局との間の本件甲乙丙の三筆の賃貸借は反証のない限り昭和二一年一二月末日従来の契約期間の満了後は期間の定めのない賃貸借として継続したものと認めるのを相当とする。右認定に反する証人細矢正太郎、被告滝野の各供述部分及び乙第八号証別件証人細矢正太郎の調書記載の証言部分もにわかに採用できない。

前記丙第二号証によれば昭和二八年一二月二日付で盛岡財務部から被告滝野に対し「同財務部所管財産になつてから何ら継続願の手続をしないまま使用していたため紛争を生じ、昭和二七年六月になつて売払申請をしたのは遺憾である。」との書面を送つているが、右書面の送達によつて前示賃貸借を終了せしめる効力あるものということができない。乙第五号証は明治四二年当時の契約書にすぎないのであり、これのみによつて前示認定を左右するに足らない。その他被告らの全立証によつても前示認定を覆えし被告滝野の賃貸借の終了したことを認めるに足らない。

よつて右賃貸借は前示原告主張五の売買の時まで継続したものといわなければならない。

2、原告と被告滝野との間の転貸借契約関係

(イ) 原告主張二の事実は前示のように当事者間に争がない。

(ロ) 原告の先代金作が、甲乙丙の三筆を開墾し耕作使用していたことは被告国において、また甲乙丙の三筆の一部を開墾し耕作使用していたことは被告滝野において、それぞれ争のないこと及び丙地が農林省に所管換され旧自創法の規定により金作に売渡されたことは前示のとおりである。

(ハ) 成立に争のない甲第八号証第九号証の一ないし七、乙第八号証の三被告滝野の第一、二回の本人尋問の結果によれば、被告滝野が昭和二二年二月頃甲地の開田事業補助金三、五三八円の交付を受けたが、右甲地の開田は原告の先代金作がしたものであることが認められ、右認定を左右するに足る証拠がない。

(ニ) 甲第七号証の判決が原告主張の日時その主張のように確定したことは当事者間に争がない。

(ホ) 証人滝野ヤスの証言、被告滝野の第一、二回の本人尋問の結果によれば、被告滝野が先代千太郎の開墾した甲乙の両地を昭和一七年から乙地等に植林するまでは耕作使用していたことが認められ、右認定を左右するに足る証拠がない。

したがつて甲乙の両地が荒されまたは乙地に植林されたのは昭和一七年以後のことにすぎない。

そして成立に争のない甲第七号証、第二一、二二号証の各二、三証人藤館春馨の証言と証人滝野ヤスの証言、被告滝野の第一、二回本人尋問の結果の各一部(各後記信用しない部分を除く)に前示認定の(イ)ないし(ホ)の各事実をかれこれ合せ考えると、原告先代金作方と被告滝野方とは近所であり、当時両家は懇意の間柄であつたこと、右両名方から甲乙丙の三筆の現場までは余り遠い距離ではなかつたこと、金作が昭和二〇年春頃食糧事情逼迫の折から訴外小笠原英郎を介して被告滝野に対し、当時荒らされまたは植林されていた甲乙丙の三筆付近の土地を開墾するから貸してくれと依頼し、被告滝野から「貸すから何処でも起せるだけ起せ。」と快諾を得金作が右三筆を漸次開墾して耕作使用し得ることの合意が成立したので、三人で固めの酒を飲んだこと、金作がその後右合意の趣旨に従つて昭和二四年までの間に右三筆を全部開墾し、甲地を田に、乙丙地を畑としてその後右三筆をいずれも耕作使用して来たこと、また金作が昭和二二年にそこに作業場を建てて開墾に励んだこと、その間甲地の開田部分から田植をはじめた際、被告滝野も田植の手伝いに来たこともあること、金作の甲乙丙の三筆の開墾は被告滝野はもとより付近部落民が目撃していたこと及びその頃金作が転借の対価の趣旨で右開墾地からの収穫物のじやがいも、豆、そば等を被告滝野に支払つたことが認められる。右認定に反する証人滝野ヤス、盛内梧郎、小笠原英二郎、被告滝野本人の各供述部分、乙第二三号証別件証人伊藤由太郎の調書記載の証言部分は前記名証拠に照らして借用できない。乙第一五号証の一、二によつてもにわかに右認定を左右するに足らない。他に右認定を左右するに足る証拠がない。

以上認定の事実によれば昭和二〇年春頃被告滝野は原告の先代金作に対し、甲乙丙の三筆を開墾の目的で賃料は収穫等で支払うこととし、特に期間の定めをしないで転賃貸借したものといわなければならない。

もとより農地の賃貸料に金銭以外の現物をもつてすることは昭和二〇年一二月二九日改正の旧農地調整法第九条の二の禁止するところであるが、それに反して金銭以外の物を授受したからといつて対価の支払の約定のない貸借ということができない。

3、前記転貸についての賃貸人の承諾関係

転貸借には転貸借当事者の合意の外賃貸人の承諾を要するから次に賃貸人の承諾の有無について検討する。

(イ) 前記1、の(ホ)の説明を援用する。

(ロ) 成立に争のない甲第二〇号証証人大森オサワの証言によれば本件甲乙の両地の隣地で被告滝野と同様帝室林野局から御料地高畑一六四番六反七畝二一歩を賃借し開墾していた訴外大森長四郎が、昭和二二年か二三年頃同人の賃借地の一部を訴外田山嘉次郎に転貸し耕作させたこと及び右一六四番も農林省に所管換され、原告が丙地の売渡を受けた頃やはり旧自創法の規定により被告国から右田山と大森に売渡されたことが認められ、右認定を左右するに足る証拠がない。

(ハ) 成立に争のない甲第九号証の一ないし七、第二五号証証人大森オサワ、西田佐太郎、種市吉孝の各証言によれば、昭和二〇年春頃は本件甲乙の両地の所在地方は戦時中極度の食糧難の時期であり、一般に開墾が奨励され、開墾適地であればできるだけ競つて開墾しており、被告国も当時補助金交付等の方法で奨励助長の方針であつたため、昭和二四年頃丙地等の所管換のため現地調査に赴いた盛岡財務部の係員も現地部落民に対し丙地等以外の未墾地の開墾をすすめていたことが認められ、右認定を左右するに足る証拠がない。

(ニ) 成立に争のない乙第八号証の二別件証人細矢正太郎の調書記載の同証人の「甲乙の両地が立派な農地であつたら所管換になるべき性質のものだつたと思います。」「甲乙の両地は無権原の開墾であつた。それで丙地だけ所管換になり原告に売渡しています。」との趣旨の証言。

また証人細矢正太郎の「甲乙の両地は滝野の方で貸したことがないといつていた。何も貸借がないことにして処理した。」「大蔵省で土地を処分するときは、権利があつて耕作している者については耕作者として処理します。」「甲乙の両地は所管換の申請がなく、山林原野なので所管換をしない。」との趣旨の証言。

によると甲乙の両地が原告の先代金作において被告滝野から賃借したものであり、これについて所管換の申請があれば農林省に所管換せらるべきものであつたことが窺われる。

右(イ)ないし(ニ)の各事実を合せ考えれば、当初はとにかく、昭和二〇年春頃戦局いよいよ危急の頃は国を挙げて諸事非常時下であり、当時の賃貸人の帝室林野局は勿論のこと、その後財産税の物納により甲乙の両地等の所有権を取得し帝室林野局の賃貸借上の地位を承継したものというべき被告国においても、当時戦後の混乱の頃で前同様非常時局の際だつたので、甲乙両地のような普通財産賃借人が労力不足のため、労力のある者に耕作させるため転貸したとしても、賃貸人の信頼に背くものということのできないのはもとより、ことに本件賃貸人の帝室林野局及び被告国において、結局戦争の影響によつて生じたそのような転貸について非議するところなく一般にこれを許容していた当時の状況が窺い得られるから前示丙地等と所在位置条件等ほとんど同一であること成立に争のない乙第七号証証人佐々木養吉の証言被告滝野の第二回の本人尋問の結果によつて明らかな本件甲乙の両地の転貸についても前同様の状況だつたものと認めるのを相当とする。

そうだとすれば前示転貸について、特に明らかな賃貸人の承諾がなかつたとしても、承諾のあつた場合と同様賃貸人において転貸の事由をとらえて賃貸借を解除する等の権限がないものといわなければならない。証人細矢正太郎の証言被告滝野の第一、二回の本人尋問の結果、前記乙第八号証別件証人細矢正太郎の調書記載の証言中右認定に反する部分はいずれも採用できない。また乙第一号証証人細矢正太郎の証言によれば、盛岡財務部が昭和二八年一二月二日原告の先代金作に対し、甲乙両地が同人の無断開墾であるとし、その使用禁止方を通告していることが認められるが、そのような賃貸人の通告書のみですでに形成されていた原告の先代金作の農地使用の法律関係を消滅せしめ得らるべき理由がない。

また昭和二四年一二月二六日大蔵省訓令特第七号普通財産取扱規程第一七条によれば財務局長は原則として転貸を禁止しなければならないと規定しているが、右規定は国有の普通財産の貸付事務を担当する財務局長に対し貸付契約をする場合は原則として転貸禁止の特約付でなすべきことを指示しているものにすぎないのであり、本件は昭和二四年以後に契約されたのではないから、右規定のあることは前示認定の妨げとならない。

そうだとすれば原告の先代金作は当時賃貸人の帝室林野局及び被告国に対する関係においても甲乙の両地についての正当な耕作権者であつたものといわなければならない。

以上1、2、3、の各事実を綜合して再言すれば、本件甲乙の両地は被告ら間の本件売買契約当時被告滝野が被告国から賃貸借していた農地であり、また、原告の先代金作が昭和二〇年春頃右賃借人被告滝野から開墾の目的で転賃貸借し、右転借の趣旨に従つてその後昭和二四年にわたつて、当時一時荒廃していた甲地二、三年間ないし四、五年間植林されていた乙地を再びもとの田畑の姿に復して耕作使用していたものであり、右転借については賃貸人の帝室林野局または被告国から明示の承諾はなかつたが、同地方のその他の旧御料地の転借の場合と同様、すなわち賃借人の労力不足等の事情で真に転貸したものであれば、賃貸人においてそれを許容して、正当な転貸借のある農地としてその頃すべて農林省にこれを所管換の上旧自創法の規定によつて売渡処分をしていたように本件甲乙の両地の転貸についても農林省に所管換の上旧自創法の規定により売渡処分をなさるべき事情にあつたものといわなければならない。

なお本件甲乙の両地は被告滝野の先代千太郎が明治三五年頃開墾の目的で賃借し、その後大正の初頃にかけて田畑に開墾し耕作して来た農地であり、しかも甲地は数年間労力不足のため耕作を廃してはいたが永年耕作して来た田地のことでもあり、山畑とも異なり、そのような事実があつたとしても、主観的にも客観的にも農地が原野に変じたものといい得べきかどうかにわかに判断しがたいものがあり、一時の休耕地ではなかつたかと思われるふしもあるのみならず、その後間もなく原告の先代金作によつて復旧された以上これを農地かどうかに疑念をもつよりもむしろ原野かどうかに疑念をもつべき状況だつたものというべきである。

三、本件甲乙丙の三筆の所管換手続関係等

1、原告の先代金作及び被告滝野の買受申立。

成立に争のない甲第四号証第二三号証によれば甲乙丙の三筆について右両名から昭和二二年九月一四日岩手県知事に対し旧自創法による買受申立をしていることが認められる。

2、丙地の所管換手続関係

成立に争のない、甲第一四ないし第二〇号証によれば、

(イ) 昭和二四年七月七日荒沢村農地委員会から岩手県農地委員会に対し旧自創法施行令第一二条第二項の承認申請をし、

(ロ) 同年九月八日同県農地委員会から仙台財務部に対し同令第一二条第三項の認可申請をし、

(ハ) 同月一七日仙台財務部の認可があつて、同月二二日その通知があり、

(ニ) 同年一〇月一日同県農地委員会の同令第一二条第二項の承認があつた。

右各事実が認められる。右承認による荒沢村農地委員会の同令第一二条第一項の決定に基いて前示認定のように丙地が農林省に所管換され旧自創法の規定によつて売渡されたものである。

3、甲乙の両地の所管換手続関係

成立に争のない甲第三号証第五号証の一、二、第一〇ないし第一三号証、乙第二号証、第一〇号証の一、丙第三号証によれば、

(イ) 昭和二四年一一月二日同県農地委員会から同村農地委員会に対し、丙地について前示のように承認したから甲乙の両地のうちの現況農地部分についても盛岡財務部と協議して所管換することになつたから承認申請書を提出されたいとの書面を発し、

(ロ) 同年一二月一六日同村農地委員会が右県農地委員会の書面に基いて甲乙の両地の農地部分を自作農創設の目的に供するのを相当と認め、これを所管換手続の上原告の先代金作に売渡すことを承認する旨の決議をなし、

(ハ) 昭和二五年六月一〇日同村農地委員会から二戸地方事務所に対し国有農地管理換申請書を提出し、

(ニ) 昭和二七年六月二日、同村農地委員会が前記(ロ)の決議を再確認し、

(ホ) 同年七月二二日盛岡財務部長から岩手県知事に対し、

「七月二一日付二七農地第三五四号をもつて申請のあつた荒沢村農地委員会提出の標記申請書(財産税物納農地の所管換について)は次の理由により受理いたしかねますから返戻いたします。

昭和二五年七月二五日大蔵省管財局長農林省農地局長共同通達第三項により昭和二五年一〇月三一日までに申請のあつたもの以外に当省限り自由処分するものである。」

との趣旨の通知があり、

(ヘ) 同月二九日同県農地委員会から同村農地委員会に対し

「同年六月七日付旧自創法施行令第一二条第二項の承認申請について、同年七月二二日付盛岡財務部から左記理由で所管換申請書の返戻があつたから右承認はできないから諒知願いたい。

前記(ホ)の記と同一。」

との趣旨の通知があり、

(ト) 昭和二九年二月五日付同村農業委員会から岩手県農地課長に対し「所管換の件その後植樹伐採について訴訟問題になつたが裁判も決つたから前に決定したとおり許可されるよう再申請する。」との趣旨の再申請書を提出し、

(チ) 同年六月一八日同村農業委員会から同県農地課長に対し所管換事務要領の指導方を依頼し、

(リ) 昭和三〇年一月八日同村農業委員会から盛岡財務部に対し甲乙の両地については同委員会において耕作者の榎本金作に売渡すべきことを決定し、県農業委員会においても承認しているのであるから金作に売渡すべきことを強く要望する趣旨の書面を発し、

(ヌ) 昭和三一年二月一五日、同県農林部長から同村農業委員会に対し、「甲乙の両地の所管換について盛岡財務部と話合つて来たが、昨年六月二日付で東北財務局長の回答書にあるとおり、今後も所管換に応ずる見込がない。盛岡財務部のいう理由は大蔵省の所管後は滝野にも誰にも貸付していない。したがつて現在耕作している榎本金作の耕作は認められない。同人に自作農創設を目的とする所管換申請は認められない。」との趣旨の書面を発しておる。

右各事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠がない。

以上認定の各事実に成立に争のない甲第六、七号証証人藤館春馨の証言を合せ考えれば、前示のように当時は一般開墾奨励の時世であり、原告の先代金作の甲乙両地の開墾を付近部落民も認めていたため、地元荒沢農地委員会でも甲乙両地の開墾部分について、すでに丙地の所管換手続の際同時にその手続をとつたのであつたが、丙地の所管換の認可があつてから県農地委員会から甲乙の農地部分の手続方をすすめられ、あらためて原告の先代金作に売渡承認の決議の上県農地委員会に対し承認申請をし、県農地委員会でも金作に売渡すべきものと認め、盛岡財務部に認可申請をしたが、盛岡財務部においては、最初は昭和二七年七月二二日昭和二五年七月二五日大蔵省農林省の両局長共同通達の趣旨により認可できないとの理由で認可申請書を県農地委員会に返戻し、同村農地委員会が県農地委員会からその旨の通知に接したが、前記所管換の初志を捨てないで、当時被告滝野と金作との間に金作が植樹を伐採したことに関し損害賠償請求訴訟(盛岡地方裁判所昭和二五年(ワ)第五号事件)が係属していたので、しばらく見送つていたが、その後右訴訟の第二審判決が金作の勝訴となつたので再び所管換のための再申請をし、東北財務局に対し直接照会をする等熱心にこれが貫徹に努力し、県農業委員会も再度盛岡財務部に対し当時施行の国有財産法第一二条により所管換の協議を求めたが、盛岡財務部において「大蔵省所管後は誰にも貸付していない。原告の先代金作の耕作は認められない。」との理由で所管換の協議を拒否したので昭和三一年二月一五日県農林部長から同村農業委員会に対しその旨通知しているのである。

これが被告ら間の本件売買契約以前の手続経過である。

四、被告ら間の本件売買契約の効力について。

(1)  本件売買契約の日時は前示のように昭和三一年四月二七日である。

(2)  本件売買の対象物件の甲乙の両地は前示のように当時原告の先代金作が正当な権原に基いて開墾し耕作使用していた大蔵省所管の国有農地である。

(3)  右売買の対象物件は前示のように盛岡財務部の認可申請及び協議の拒否により農林省に所管換されていない農地である。

このような事情の国有農地の国有財産法によつてなした売払の効力が当面の問題である。

1、元来国有の普通財産は国有財産法の定めるところによつて売払をするのであるが、それが農地であり、自作農創設の目的に供するのを相当とするものであるときは、国有財産法によらないで、農地法の定める売渡手続によらせ、いわゆる自作農主義と農業経営の合理化、農業生産力の増進を目指す農地法の目的の貫徹を期しているのである。

したがつて国有財産の処分でもそれが農地の処分に関する限り、農地法は国有財産法の特別法であり、まず農地法の定める手続に従い、農地法に規定のない事項についてはじめて一般法である国有財産法の規定の適用を見るにすぎない。昭和二三年六月三〇日法律第七三号国有財産法第一条に「国有財産の……処分については他の法律に特別の定のある場合を除く外この法律の定めるところによる。」とあるのはこの趣旨である。

このために農地法第七八条第一項に、自作農創設の目的に供するのを相当とする国有農地は農林省に所管換をし、農林大臣の管理すべきことを定めているのである。

2、所管換の手続に関する法規。

(イ) 国有財産法第一二条に「各省各庁の長が国有財産の所管換を受けるときは当該財産を所管する各省各庁の長及び大蔵大臣に協議しなければならない。」と規定している。

普通財産である本件甲乙の両地の所管省は大蔵省であるから、本件甲乙両地については、大蔵大臣は当該財産の所管省の長及び国有財産の総轄機関として協議の相手方に立つのであり、まず所管省の長としての大蔵大臣の同意を得た上その同意書を添付して総轄機関としての大蔵大臣と協議をしなければならない。

(ロ) 昭和二九年五月一五日大蔵省訓令第五号国有財産総轄事務処理規則第二二条第二三条によれば、財務局長が当該財産が一定額をこえない場合に関し、各省各庁の部局の長から協議を受けて同意の通知……をする場合においては、法令の規定に違反していないかどうか等を留意して審査すべきことを定めている。

(ハ) 右の外どのような場合に協議に同意し、またどのような場合に協議を拒否すべきかについて他に何らの法規を見ない。

3、農地法施行前の所管換の手続に関する法規。

旧自創法施行令第一二条第一三条がこれである。

(イ) 右第一二条によれば、所管換は市町村農地委員会が国有に属する農地(旧自創法による買収農地を除く)で自作農創設の目的に供するのを相当と認めて決定することによつて生じ、その後右農地は農林大臣の管理となる。

もつとも右所管換の決定は都道府県農地委員会の承認がなければその効力を生じないし、また県農地委員会が承認をするには当該農地の所管大臣の認可を受けなければならないことになつている。

(ロ) また右第一三条によれば、前記都道府県農地委員会の承認があつたときは当該農地の所管大臣は農林大臣に対して当該農地の所管換をしなければならないと定めている。

(ハ) 右第一二条第一三条の規定は国有財産法の規定によつて所管換の手続をすることにしていたのでは煩雑であり自作農創設を急速に実現するのに妨げとなるのみならず、自作農創設の事業を農地委員会をして行わせようとしている旧自創法の精神に合致しないので、別に簡易な手続を定め、自作農創設の目的に供するのを相当とするかどうかの認定に関する主導権を農地委員会に与えたものであり、国有財産の所管換に関する国有財産法の特別法規である。

したがつて市町村農地委員会が自作農創設の目的に供するのを相当と認め、都道府県農地委員会も同意見で承認したときは、所管大臣は認可をしなければならないのであり認可するかしないかの裁量の余地がないのである。

4、農地法施行前後における所管換手続の差異

(イ) 農地法の施行によつて旧自創法は廃止され、前記旧自創法施行令第一一条第一三条の規定も廃止され、ただし農地法施行令付則第五項により当時係属中の認可申請事件については昭和二七年一二月三一日までなお従前の例によることとされていたが、その後これに代る規定が定められていない。

旧自創法の下における急速な自作農創設の事業の達成のための、迅速簡易な所管換手続の特別規定としての前記第一二、三条も一応その使命を果して廃止されたのは当然である。

(ロ) 国有財産法によれば、前示のように所管の各省各庁の長との協議によつて所管換をすることになつており、右協議の成立は前記施行令第一二条の認可に該当するものではあるが、「協議しなければならない。」のであり、協議に応ずべき義務の明文もない以上、一見協議に応じて同意するか、拒否するかは所管の各省各庁の長の自由裁量に属するかのようである。

(ハ) しかし国有農地の経営の合理化と農業生産力の増進は農地法施行の前後を通じて変らないわが国の農事行政の大方針であり、また特定農地を自作農創設の目的にするのを相当とするかどうかの認定に関する主導権を市町村農地委員会(昭和二六年三月三一日法律第八八号の施行後農業委員会)に与えていることも前後を通じて異るところがない。

農地法第一一条第三九条によつても都道府県知事は市町村農業委員会の進達書の記載を勝手に変更することができず、その記載するところに従つて買収令書または売渡通知書を作成しなければならないことになつているのである。

(ニ) また農地法施行後においても当該農地所管の各省の長が協議に応ずるのが相当であるのにかかわらずこれに同意しない場合には、農林大臣は都道府県農業委員会の申請に基いて閣議を求め、閣議においても同意すべきものと決定したときは内閣総理大臣は所管の省の長に対し同意すべきことを命ずることができ、これに従わないときは所管大臣を罷免することができるのである。

(ホ) したがつて旧自創法施行令第一二、三条の規定の廃止の結果国有農地の所管換は国有財産法の定める所管大臣との協議によらなければならないことになつたのであるが、農地行政に関するわが国の大方針に変りがないのであるから、所管の省の長は、右方針に従つて審査の上同意するか拒否するかを決すべく農林大臣もしくはその権限を代行する者が相当と認めて所管換の協議を求めて来たときは、結局これに同意しなければならないのであり、この点において旧自創法施行令第一二、三条の時代と異なるところがないものといわなければならない。

5、したがつて前記三の3、の(ホ)の盛岡財務部の所管換申請書の返戻の理由は昭和二五年七月二五日の通達の誤解であり失当である。

(イ) 成立に争のない丙第四号証の昭和二五年一月二四日の農林省大蔵省の両局長の共同通達によれば、同通達が大蔵省所管の国有農地をすべて旧自創法の規定の規定により売渡すため農林省に所管換することを前提とし、その手続の引延することをうれえ、これが促進の方策として、

「市町村農地委員会はすでに所管換の認可のあつた農地で将来売渡を行う見込のないものはその旨財務部長に通知する。財務部長は右通知のあつたもの及び昭和二五年三月末までに認可申請のなかつたものについては自由処分することができる。所管換手続中の農地で右以外のものについては混乱を招くから、自由処分はしないこと。」としているのであり、すなわち、

財務部長が自由処分するのは、国有農地中で、

(I) すでに所管換の認可があつたがその後事情が変り売渡の見込がなくなつたもの、すなわち見込違いで認可申請をしたもの。

(II) 昭和二五年三月末までに財務部に対し認可申請をしないもの。

ただし現に農地委員会の手許で所管換手続中の農地は昭和二五年三月末までに認可申請をしなくとも自由処分をしない。

との趣旨であり、この通達の趣旨によつても本件甲乙の両地については自由処分をなすことができない。

(ロ) また成立に争のない丙第五号証昭和二五年七月二五日前記両局長の共同通達によれば、

「本年一月二四日付……通達中記、七(前記丙第四号証通達)において三月末までに所管換の申請のなかつたものは大蔵省で自由処分ができることになつているが、その後農地委員会が自作農創設の目的に供するのを相当と認めたものがある場合には、物納財産は一〇月末日までに、また物納以外の財産は大蔵省が管理中であれば従前の例により旧自創法により売渡す。」とあり、前記丙第四号証の通達の所管換の申請期間の昭和二五年三月末を物納農地について同年一〇月末日まで延期する趣旨のものにすぎないのであり、前記ただし書の取扱を廃止する趣旨のものではない。

(ハ) 右通達はいずれも旧自創法時代のものであり、前記農地委員会の主導権を認めている時代のものであるから、農地委員会が自作農創設の目的に供するのを相当と認めて所管換の申請をするときは、何時でも即時大蔵大臣において所管換の認可をしなければならない義務のあることを前提とし、当時自作農創設事業の促進のため、とくに物納農地についての行政運営上の要領を指示したにすぎないものであり、一応の行政運営上の基準を示したにすぎないものである。しかも右指示の運営基準にはただし書があつたのである。

(ニ) 本件甲乙の両地について観るに前示認定の三の3の(イ)(ロ)(ハ)の事実経過になつているのである。

地元荒沢村農地委員会は昭和二五年一〇月三一日以前に県農地委員会に対し所管換に関する承認申請をしたのであるが、どういう事情か県農地委員会からその以前に盛岡財務部に対し認可申請をしたことが明らかでない。

しかし本件は旧自創法施行令第一二、三条の施行時代のことであるのみでなく、正に前記昭和二五年一月二四日の両局長の共同通達のただし書の場合に該当するので本来昭和二五年三月末までの制約を受けるものではなく、したがつて同年七月二五日の通達によつて当然に同年一〇月三一日まで申請しない限り自由処分できる場合ではない。前示昭和二七年七月二二日の盛岡財務部の認可申請書の返戻(丙第三号証)は適法な処分ということができない。

6、また前記三の3、の(ヌ)の盛岡財務部の所管換の協議拒否の理由もまたその理由として挙示する事実がいずれも前示認定の事実と異り真実に反するものであるからこれまた失当のものといわなければならない。

7、そうだとすれば本件甲乙の両地については正に大蔵大臣において県農地委員会のなした所管換に関する申請を認可し、農林省に所管換の上旧自創法または農地法の規定により売渡処分をなすべかりしものといわなければならない。

(イ) 農地法の規定によつて売渡されるものとすれば、被告滝野が本件売買契約当時の耕作農地が一反歩余であることは前示のように当事者間に争がないところであるから、同被告は農地法第三条第二項第五号の権利取得の要件を缺くものであり、被告国が被告滝野となした本件売買契約はその契約の対象物件である甲乙両地の所有権移転の効力を生じないものであり、この意味において右売買契約は当然無効のものといわなければならない。

(ロ) また農地法によつて売渡されるものとすれば先代金作の地位を承継した原告は農地法第三六条第一号の現に耕作の事業を行つている者に当該し、かつ、前示認定の諸事情によれば右原告が同号にいうところの自作農として農業に精進する見込のあるものであることが認められ、右認定を左右するに足る証拠がないから、売渡処分の相手方となり得べき地位にあることが明らかであり、もし本件売買が有効だとすれば右原告の地位を奪う結果を招来するものといわなければならない。

(ハ) 農地法第三六条の売渡処分の対象物件は買収農地及び農林省に所管換され農林大臣の管理中の農地に限り、本件甲乙の両地はいずれにしてもまだ所管換をしていないものであるから直接右三六条によるものでないとしても、

(I) 大蔵大臣は本件甲乙の両地を国有財産法によつて売払をなす際、対象物件が農地であるから国有財産法を適用する外農地法をも適用しなければならないものといわなければならない。農地法第八〇条により農林大臣が一旦所管換した農地で自作農創設の目的に供しないことを相当と認めるものを国有財産法の規定によつて売払するのと同断である。

なぜなれば農地法は、自作農創設の目的に供するのを相当とする国有農地の処分に関する国有財産法の特別法であるから、売払の対象物件が農地にして自作農創設の目的に供するのを相当とするものである以上大蔵大臣の売払の場合でも特別法である農地法の適用を無視してよい理由がないからである。

(II) 大蔵大臣の売払にも農地法の適用があるものとすれば同法第三条第二項第五号、第三六条第一号等も適用があり、結局所管換をして農林大臣が農地法の規定により売渡処分をする場合と同一の結果となるべきものといわなければならない。

五、結論

以上被告ら間の本件売買契約は前示のように農地法に違反しそれにより対象物件の所有権移転の効力を生じない。被告らにおいて極力これを抗争するから原告は右の趣旨における売買契約無効の即時確定の利益があるから、右無効確認を求める原告の本訴請求は正当である。

第二、被告滝野の昭和三一年(ワ)第一四三号及び同三二年(ワ)第一八六号事件の判断。

一、当事者間に争のない事実

1、被告滝野主張一の事実のうち別紙目録記載の各土地がもと皇室財産の御料地で被告滝野の先代千太郎が明治三五年頃に当時の帝室林野局から開墾の目的で賃貸借し、その後賃借を継続し、被告滝野主張の日時先代千太郎の死亡後被告滝野が前同様賃借を継続していたこと及び右各土地が同被告主張の日時財産税の物納により被告国の所有に帰し、大蔵省の管理となつたこと。

2、被告滝野主張二の事実。

3、同三の事実のうち原告が被告滝野主張の頃から前記各土地を耕作使用していたこと及び被告滝野がその主張のように二回仮処分命令を得て執行したこと。

二、被告ら間の昭和三一年四月二七日の前記各土地の売買契約により対象物件の所有権移転の効力を生じないこと前記昭和三一年(ワ)第一七一号事件の判断四において説明したとおりである。

右売買により被告滝野が対象物件の所有権を取得したことを前提とする被告滝野の本訴請求はその余の判断を待つまでもなくいずれも失当である。

第三、よつて原告の昭和三一年(ワ)第一七一号事件の本訴請求はこれを認容し、被告滝野の昭和三一年(ワ)第一四三号及び同三二年(ワ)第一八六号事件の本訴請求はいずれもこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条第第九三条第一項ただし書により主文のとおり判決する。

(裁判官 村上武 須藤貢 山下進)

目録

一、岩手県二戸郡荒沢村(町村合併の結果安代町となる)大字荒屋字高畑一六九番の二

田 九反一八歩 (甲地)

二、同上 一七一番

山林 三反七畝四歩 (乙地)

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